説明と言うより旧軍関連などの雑記です。
・旧海軍の測距儀について | ||||
旧海軍の光学測距儀について若干解ったことがあるので紹介します。 公式資料ではない文献からの引用ですので「Library」には入れずこちらにしました。 また、所詮素人ですのでヘンな思い違いをしている所も有るかも知れません。 ・測距儀の形式分類 合わせ方によって大きく合致式と立体視式のふたつに分けられ、またそれぞれに 各種の分類がありました。 以下に概略します。 合致式 単眼(片目)で見た画像を合致させ測距するもので以下のものがあります。 重像式 =画像そのものを重ね合わせ測距するもので海軍では不採用でした。 分像合致式 =正像式と倒像式があり所謂上下合致式はこの正像式で海軍で最も 多く使用されました。倒像式は海軍では不採用です。 立体分像合致式=正像式の中に倒像部を組み込んだもので海軍では不採用でした。 立体視式(ステレオ式) 双眼(左右の眼)を同時に使い立体視で測距するもので以下のものがあります。 標式 =視界内表示された距離標と「目標の浮き上がり」で測距するもので 簡易な固定標式(不採用)と遊標式があり所謂ステレオ式高角 測距儀と呼ばれているものです。 分像式 =視界の上下に左右それぞれの画像を表示し合致させ測距すもので きわめて初期に国産された正像式と末期の大和、武蔵用15mや 島風用3mの倒像式があります。 |
立体視分像式も合致式に含める場合 があるようです。 |
|||
構造図も添えられていますが…良く 解りません。 島風?用の九八式3mは平射、高射 両用で計画されていたそうです。 構造上測距レンズの送りネジの精度 に0.01mmを求められるなど大変だった そうです。 |
・海軍採用各測距儀の特徴について 正分像合致式 「上下合致式 =合致式=分像合致式=正像式」を「正分像合致式」と呼びます。 このタイプはマニュアルフォーカス一眼レフカメラのスプリットプリズムを例にすると 解り 安いのですが単体の画像を上下に分け左右に見えるズレを合致させて測定します。 当然、ポールマスト、直立煙突など縦に長い目標なら正確、迅速に測距できますが 航空機などの小さく三次元で移動する目標や、大遠距離の水平線上に不鮮明に見え てくる艦橋トップなど見かけ上の垂直線が無い小さな対象の測距は苦手となります。 ※夜間の燈火など「点目標」を測距するために「伸光器」が備え付けられていました。 「伸光器」は測定者が接眼鏡を覗きながら右手親指で着脱を操作する筒内組込みの 一種の偏光フィルターで、画像を明暗、強弱を強調した縦線に変換するものです。 条件によっては「昼間、単目標」の航空機などの測距に使用していたかもしれません。 正分像合致式はほぼ国産がなった一四式以後、九〇式、九三式、の各式で採用 され、それぞれ各基線長の測距儀が製作されましたが、後に、1.5m、2m、3mの 汎用儀は九六式で部品、規格の統一共通化が計られることになりました。 |
・正分像合致式 対象の画像を上下に2分するため遠く 小さくなるほど難しくなり動揺などの上下 動の影響も大きくなります |
遊標立体視式 ひとくちに「ステレオ式」と呼ばれてしまっていることが多いタイプです。 いまいち良く解らないのですが、双眼が合成された視界内に主標、副標からなる遊標が あり、目標が(ピントが合い?)浮き上がって(立体に?)見えた瞬間の副標の数値を 読み取る方式のようです。 目標を常に中央に捕らえている必要が無いので航空機などの測距に有利だったもの と思われます。 最初の国産は一五式1.5mですが実用化は九四式高射装置用の4.5m高角測距儀 からだったとされています。 九三式4.5mは3.5mの拡大で単眼式だったとの記録もあり、また、九八式4.5m高角 測距儀は10台製作されたものの、後の昭和16年に陸上専用に用途変更されたとの ことで実際に艦に装備されたのかどうか不明です。 |
・遊標立体視式 浮き上がりの意味がよく解りませんが 立体に見えるようになることと受け取り ました。また遊標の見え方もよく解りま せん。 |
立体視倒像式 「立体視式=分像式=倒像式」を「立体視倒像式」と呼びます。 双眼が合成された視界内の上下にそれぞれ表示された左右対物鏡からの上下反転 鏡像の画像を合致させ測距する、前述の正分像合致式の弱点を補なったものです。 単体画像の上下分像が不用なので大遠距離などでの小目標測距が可能になりました。 大和、武蔵の三九式10m,15m二重測距儀(15m正分像合致式を併設し三重測距儀と 呼ばれていました)と島風(推定)の九八式3mが製作されたようです。 この九八式3mは昭和16年に高速駆逐艦用として海軍から内示があり製作したもので 極めて精緻で製造困難、終戦までにごく少数しか完成しなかったとされています。 作成 2004/02/04 加筆調整 2015/03/05 |
・立体視倒像式 上下に同じ画像が表示されるので小さな 目標でも測れますし、多少の上下動なら 見切れることもありません。 |
・旧海軍のリノリウム甲板材について | ||||
当HP「Library」で兵学校資料を公開しているのですがその記載に関連した私見です。 甲板材としてのリノリウムは乗員が頻繁に歩く場所に貼られていたもので、甲板下の断熱、 防暑のためではなかったようです。 鋼甲板に接着材で密着させていますし物性からみても断熱、防暑にはたいして効果は なかったでしょう。 やはり歩き易さの改善による乗員の歩行、走行時の疲労軽減と歩行による船体の磨耗 損耗防止のための甲板材と思われます。 居住区画上に貼られていたように見えるのは…頻繁に歩く場所を限定していった結果で 「たまたま」なのでしょう。 貼付領域の広さには時代で増減があるようで新造時の特型駆逐艦は露天甲板ほぼ全面 がリノリウム貼りですが初春classからは艦中央部は亜鉛メッキ鋼板のまま無塗装かあるいは 外舷色塗粧とされ、貼付はウォークウェイ部分のみになっているようです。 増減の理由は不明ですが保守面での手間が理由かもしれません。 |
・断熱および防暑と記載されている のはおもに模型関係書籍で実物 艦船の解説ではまず見ません。 ・亜鉛メッキ鋼板のままとは… 建造時に板材でドブ漬けメッキさ れたされたままの鋼板との意味 です。 |
「大戦末期の難燃化対策」で露天甲板のリノリウムまで剥がしたと言われている件ですが… これは少々疑問です。 リノリウムは施工接着に時間が(1週間程度)かかるため修理、改修等で剥がした後の 再貼付はしなかったでしょうし、末期建造艦は新造時から貼なかったとも考えられますから それらの事項も関係しているのかも知れません。 終戦後の「雪風」の写真では船首楼甲板のリノリウムは単装機銃増設部以外剥がされて はいないように見えます。 雑誌の写真解説では剥がされていると書かれていますが鋼甲板部分との質感の違いや 押え金物がはっきり見えることからもリノリウムだと解ります。 ところでこの「雪風」の押え金物ですが亜鉛メッキ薄鋼板製のようです。 昭和12年頃から(原材料としての)銅の統制が始まり真鍮製部材の他材質への変更が 検討され亜鉛メッキ薄鋼板を使用となったものです。 薄鋼板押え金物への切り替え時期は造船所ごとに違うかも知れません。 統制が始まった後でも製造済みの真鍮製在庫品は使うはずですから場合によっては 新造艦に混用した可能性もあるはずですし改装時での混用は当然起きたと思います。 でも、それを考え始めれば個々の艦での検証が必要になるでしょう。 |
・夕雲級「朝霜」など起工後10ヶ月 で竣工させた例もありますし、松 級「樅」は外舷塗粧すらしないま ま?就役したくらいですから… あえて貼ったかどうか疑問です。 ・砲架基部は新造時から未貼付の 鋼甲板です。やはり砲室があり踏 まれる心配がなく、補修もできな い場所だからだと思います。 ・この辺の統制の話はたしか「鳶色 の襟章」にも載っていた筈です。 ・大型模型の製作者で銀色で再現 した方もおられるようです。 1/700はまぁ関係ないですけど。 |
リノリウムは貼付け母材の鋼甲板に貫通穴が明かないという利点もあり、戦艦改装時に 艦載機作業甲板がリノリウムとされたのはそれが理由と思われます。 戦艦の旧来の木甲板材は船体の鋼甲板と通しボルト、ナットで固定されていて艦上での 油火災には無想定、無防備でしたから木甲板を取り外し鋼甲板の貫通穴を廃しリノリウム 甲板に変更、(平時の)ガソリン火災に備えたものと考えられます。 木とリノリウムの板厚の違いで段差が出来たのも好都合かも知れません。 (リノリウム部分の外周にフランジ状の立ち上がりが見える写真も残っています) あと、 大和級は時期的にも「鋼甲板にボルトを溶接」になっていたはずなので例外のはずです。 作成 2003/09/04 |
・木甲板上で油火災が起きた場合 ボルト木栓の焼損後、ボルト穴を 通して甲板下へ燃えた油が滴り 落ちることになります。 報国丸はこれで沈んだはずです。 ・大和級もウォークウェイ部分と艦 内格納庫の床面はリノリウムだっ ようで写真が残っています。 ところで格納庫の水密?扉とやら は本当にあったのでしょうか?。 構造上、無意味とも思えますが。 |