旧来、一等駆逐艦 白露級の全長は110.000mとされていました。
原因は不明ですが昭和18年に海軍省が作成したとされる要目簿に誤記があったのかも知れません。
例の夕雲級全長を119.030mと誤記したとされるアレです (正しくは119.300m)。
その後、その記述要目が「昭和造船史」などの基礎資料書籍に記載され通説化していったとも考えられますが詳細は不明です。
現在、白露級駆逐艦の全長は通説となっていた「110.000m」ではなく「111.000m」だったことが公式資料から確認する
ことができます(たった1mと観るか1mも違うと感じるかは受け取る側それぞれです)。
関連した公式図の事項を以下に転載します。
読める程度に画質を落としたスキャナ取り込みです。
公式図自体がコピーとはいえ巨大なものなので必要な部分だけを 縮小(一部拡大)して使用しました。
原因は不明ですが昭和18年に海軍省が作成したとされる要目簿に誤記があったのかも知れません。
例の夕雲級全長を119.030mと誤記したとされるアレです (正しくは119.300m)。
その後、その記述要目が「昭和造船史」などの基礎資料書籍に記載され通説化していったとも考えられますが詳細は不明です。
現在、白露級駆逐艦の全長は通説となっていた「110.000m」ではなく「111.000m」だったことが公式資料から確認する
ことができます(たった1mと観るか1mも違うと感じるかは受け取る側それぞれです)。
関連した公式図の事項を以下に転載します。
読める程度に画質を落としたスキャナ取り込みです。
公式図自体がコピーとはいえ巨大なものなので必要な部分だけを 縮小(一部拡大)して使用しました。
左)船体線図です。 昭和11年12月8日承認の時雨、五月雨、山風、 涼風兼用で 浦賀船渠株式会社と読めます。 下)要目部分を拡大したものです。 余談ですが,下記要目の幅数値9.900mは水線部 でのもので 最大幅は10.000mと線図々中に記載 されています。 舷側は鉛直なのですが船底への丸みが水線上 から始まって いるために50mmずつ狭くなったも のです。 |
||||
左)海風の入渠用図です。 舞鶴海軍工廠造船部で昭和12年5月26日製図 されたものとの記載があります。 下)要目部分を拡大したものです。 最大幅の10.028mは基本値に外板の鋼材 厚を加算した「実側値」に近いものです。 |
||||
※煙突基部が入渠用図と違っていますが実艦が こうなっていた訳ではないようです。 無関係な部分なので省略したものと思われます。 |
左)助骨位置及各甲板高サ等図です。 浦賀船渠で昭和11年12月8日製図された 「時雨、五月雨、山風、涼風兼用」のもの との記載があります。 下)中央部を拡大したものです。 |
|||